株式会社エム・ジェイ・エンタープライズ
代表取締役社長 中村雅俊

株式会社エム・ジェイ・エンタープライズ 社長 中村雅俊

エンタメ

誰が欠けても成立しない、
それが舞台であり、企業経営

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はじめに

俳優、歌手、司会など、芸能界で様々な顔を持つ中村雅俊さん。それぞれの分野で際立った活躍をされながら、出身地である宮城県牡鹿郡女川町の東日本大震災復興支援に継続的に取り組んでいます。

2018年NHK連続テレビ小説「半分、青い。」では、主人公・鈴愛の祖父役として、おおらかな存在感がありました。愛情たっぷりの穏やかな役柄を演じておられましたが、実際の中村さんもそのイメージのまま。
飾らない自然体の語り口で、周りの人を和ませる魅力があります。その優しさは芸能事務所の経営者としての一面にも発揮されているよう。
ここでは、中村雅俊さんの経営者としての考え方や、自らのブランディングについて語って頂きました。

インタビュー

芸能界で 長く人気者でいるということ

株式会社エム・ジェイ・エンタープライズ 社長 中村雅俊

俳優と歌手の両輪でのご活躍、その秘訣はなんでしょうか?

芸能界にデビューして、2019年でちょうど45年。大学を卒業してすぐに「われら青春!」でテレビドラマの主役でデビューを果たし、その挿入歌「ふれあい」が大ヒット。非常にラッキーなスタートでした。
その後「俺たちの旅」というテレビドラマにも恵まれ、当時はさぞ調子に乗っていたと思いますが(笑)、以来、おかげさまで俳優と歌手の両方を主な仕事とさせて頂いています。この2つの仕事については、俳優だから、とか、歌手だから、という意識をさほど強く持つことなく、自然にスイッチの切り替えができているように思います。

歌手としてのデビュー曲であった「ふれあい」はオリコンで10週連続1位を記録し、当時はものすごい勢いでした。それまで学園もののドラマに出演していた俳優が、歌を歌ったら売れてしまったわけですから、自分でも驚きました(笑)。
一方で、“もうこれ以上のすごいことは自分には起きないだろう”とも思いました。
それまでは芸能界での長期展望など持っていませんでしたし、ただ流れに任せて仕事をしていただけでしたが、これから高望みは決してしないで、マイペースを守ってやっていこうと心に誓ったのもこの頃でした。
複数のドラマや映画などを掛け持ちでやらないこと、丁寧に一本ずつ取り組む、といったことを自分で決めたのです。

その後、「俺たちの旅」というドラマと出会い、歌手活動は少しお休みして俳優に専念していました。さらに数年後には別のドラマの主題歌「心の色」を歌い、歌番組「ベストテン」の時代でもあったため、歌手として頻繁にテレビにも出演していました。下駄を履いた学生役の俳優から一転、デザイナーズブランドを着た歌手としてのテレビ出演の方がこのときは多かったかもしれません。
その後、桑田くん(桑田佳祐さん)に作ってもらった「恋人も濡れる街角」で、“歌手”から“アーティスト”として認められた感じでしょうか。こうして振り返ってみると、俳優と歌手を交互に分けてうまくやってこられたのかもしれませんが、それは掛け持ちでやらない、丁寧に一本ずつ取り組む、という考えが結果として良かったのかもしれません。

ブランディングは、スタンダードを持つこと

ご自身のブランディングに関してはどのように考えていらっしゃいますか?

ブランディングについて改めて考えたことなどないので言葉が適当かわかりませんが、芸能界で生きていくための方法としては“自分らしいスタンダードでいる”ことはとても大切だと思っています。
人気者であり続けるのは本当に大変なこと。旬の人というのは、旬のピークを過ぎたら忘れられがちです。でもナンバー2のポジションだったら、長期的に存在感を保ち続けることができると思うのです。
一般の企業で言えば、商品が市場の売れ筋の2番手でいること、と言えば例えになるでしょうか。もちろん、自分で2番手をキープするというのはとても難しいことですから、そういう意識でいろいろな事柄を選択し、仕事を作り上げていくという意味です。それがわたしの場合の自分らしいスタンダードです。具体的にいうなら、記憶の片隅でいつもチラチラする存在でいるということでしょうか。
「そういえば〇〇ってどうしてるかな」とか「〇〇のことを思い出したけど」といった具合に、決して大きな存在ではないが、記憶のどこかに必ず在る。そんな存在でいたいと思っています。また、飾ることなく地のままでいることがブランディングになるのではないかと思います。

芸能界における人気というのはただの現象で、得体のしれないものです。とても脆いものであることはわかっていますから、自分の信念を確かなものにして持ち続けていくことこそ、ブランディングになると信じています。

我々俳優にとって仕事は、完全なる受注生産です。例えば来年の大河ドラマに出演したいなという熱意があっても受注はできません。これは実業界とは違うところですね。
俳優の仕事が頂けるというのは、それまでの仕事が履歴書になるわけですから、やはり普段の存在感が大切、ということになります。2番手でいること、記憶のどこかでチラチラする存在であり続けることは、ブランディングであり営業であり、仕事とも言えるのでしょうね。

誰が欠けても成立しない、 それが舞台であり、企業経営

株式会社エム・ジェイ・エンタープライズ 社長 中村雅俊

事務所の経営者としての意識で、ご自身の仕事を分析すると?

わたしは俳優であり、歌手であり、自分自身が所属するタレント事務所の経営者でもあります。正直に申し上げると経営者という意識はほとんどなく、特に経営者らしいことなどしていませんので、とても気恥ずかしいのです。

あえて経営者のつもりで自分を分析するなら…どんな仕事もそうだと思いますが、いつも大勢のスタッフがいるから、自分の仕事が成り立っていると思っています。肩書きで仕事をしているわけではないですからね。

自分が頑張らないと!という感じではなく、みんなで頑張っていこう!というのが、あえて言うならわたしの会社のやり方でしょうか。
また、俳優としての仕事場はいろいろありますが、大きく分けて、映画やテレビのように映像で撮影するものと、お客様の目の前で演じる舞台の2つがあります。映像の方は、撮影スケジュールが違えば同じ作品に出演していても会ったことなく終わる俳優がいたり、何かトラブルが起きたときは代役を立てたりすることも可能です。これは大きな仕事のプロジェクトと似ているでしょうか。
ところが、舞台の方は、役が大きい小さいに関わらず、舞台裏のスタッフたちも仕事の大小に関わらず、すべての人が揃っていないと成り立ちません。誰か一人が欠けてもダメなのが舞台です。そういう意味では、舞台は小さな会社経営に似ているところがあるのかもしれません。

誠実でいること、嘘をつかないこと

企業経営者としてのモットーはなんですか?

企業経営者としてコメントを求められたのは初めてかもしれません(笑)。企業経営としてのモットーと言えるかどうかはわかりませんが、誠実に嘘のない言動を心がけるといったところでしょうか。

確か、三島由紀夫だったと思いますが「一度嘘をつくと、その嘘を記憶してさらに嘘を重ねなければいけなくなる」という言葉があります。

その通りで、嘘をつくことで記憶しなければいけないことが増えていきます。わたしの事務所でいえば、嘘のない申告で税金をきちんと納めることが基本中の基本だと思っています。

悔いなく、一日を生きる

株式会社エム・ジェイ・エンタープライズ 社長 中村雅俊

女川出身者として、東日本大震災は人生を考える転機になりましたか?

1975年のドラマ「俺たちの旅」で、「俺は今日1日を精一杯生きればそれでいいんだ」というセリフがありました。その当時は意識したことはありませんでしたが、今になって、このセリフの意味を深く考えるようになりました。

東日本大震災で故郷の女川町が大きな被害を受けたこと、たくさんの方が亡くなったこと。その現実を目の前にしてから、1日を生きることの意味を考えています。女川町ではおよそ900人もの命が奪われました。現実は本当に酷で、生きている者に迫ってきます。

よく人は「死んでしまった〇〇の分まで生きるんだ」と表現しますが、あの悲劇を目の前にすると、そう言いたくなる気持ちがよくわかります。生きている人は、亡くなった人の人生も一緒に生きるという一種の使命のようなものを感じるのです。

実はつい最近、夫婦同士で付き合いのある親しい友人が亡くなってしまいました。あまりに突然のことだったのと、まだまだ若い年齢だったことで、言葉も見つからず、しばらくは受け入れがたい思いでいっぱいでした。

震災も、亡くなった友人も、「俺は今日1日を精一杯生きればそれでいいんだ」というかつてのセリフをわたしに教えてくれたように思います。

これからの人生、好奇心を忘れず、いつも何かにトキメキを感じ、人と出会い、新しいことに挑戦する気持ちを忘れずに、生きていきたいと思っています。また、音楽に長く関わっていて、楽器を浅く広くやってきましたから、いろいろな楽器を演奏してみようかな、とかね。

2019年夏には芝居90分、ライブ60分という舞台に挑戦します。あらゆることに首をつっこんでいれば、きっと皆さんの記憶の片隅にチラチラと登場させてもらえるのではないかと期待して…。

社名・役職などはインタビュー当時のものです。

インタビュー:2019年1月

経歴

昭和26年2月1日

宮城県牡鹿郡女川町で生まれる

昭和48年

文学座附属演劇研究所に入所

昭和49年3月

慶應義塾大学経済学部 卒業

昭和49年

TVドラマ「われら青春」で主演デビュー
(以来、100本以上のドラマに出演)

「われら青春」の挿入歌「ふれあい」で歌手デビュー
(以来、55曲のシングル盤、40枚のアルバムを発売)

映画「われら青春」で主演
(以来、30本以上の映画に出演)

昭和57年

芸能事務所「株式会社エム・ジェイ・エンタープライズ」 設立

平成6年

自叙伝「星になるまで愛したい」(光文社)

株式会社エム・ジェイ・エンタープライズ

中村雅俊を中心に俳優・歌手・タレントのマネージメントを行なう芸能事務所。
「時代に流されない本格派」がモットー。

今回の「リーダーナビ」では、俳優・歌手として長年芸能界で活躍される中村雅俊さんをご紹介します。芸能人らしいオーラを持ちつつ、とても気さくで親しみやすい雰囲気に、周りにいる人は一瞬で中村さんの人柄の虜になってしまうでしょう。デビュー以来、芸能界の荒波にもまれてきたはずですが、そんな苦労話はインタビュー中のどこにもなく、ひたすらピュアに真摯に仕事に取り組む姿が浮かび上がってくるような語り口でした。自然体という言葉がこれほど似合う人も少ないのではないでしょうか。中村雅俊さんが話してくれた、芸能界で長く愛されるためのブランディングについては、経営者の視点とも共通するところがあり、とても印象的でした。

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