インタビュー
迷いながらも刀鍛冶の道を選んだのは、 父の影響

まずは宮入会長が刀鍛冶になろうと思ったきっかけを教えて下さい。
やはり家が刀鍛冶を家業としていたことが、一番大きかったですね。しかし、家業であるからこそ自分の中に受け入れるまでは、いろんな葛藤がありました。
例えば、中学校の頃から仕事場に行って、いろんな手伝いをさせられていました。しかし、段々と自我が目覚めてくると、やはり自分の存在意義や日本刀(刀剣)との関わり方、将来について自問自答するわけです。父を尊敬して父の役に立ちたいと思っていましたが、同時に反発する気持ちも出てくるなど、揺れ動いていましたね。高校では3年間スポーツの楽しさに目覚めて、手伝いから少し離れた時期もありました。
それでも最終的にこの道を選んだのは、やはり父の影響が大きかったのだと思います。日本刀(刀剣)の第一人者でもあり、感性が鋭く美術への造詣も深い。そして人間的な魅力に溢れていた人でした。父は私に手伝いをさせつつも、刀鍛冶の世界に入るよう無理やり押し付けてくることはありませんでした。高校のときに手伝えなくなった時期も、真剣にスポーツしている様子を見て、受け入れてくれたりもした。今にして思えば、私が自分の意思でごく自然な形でスタートラインに立てるように、そっと背中を押し続けてくれていたのかもしれません。
刀鍛冶という職業と、現在の厳しい環境

そもそも刀鍛冶はなりたいと思ってなれるものなのでしょうか?
刀鍛冶になるまでの流れをお聞かせ下さい。
刀鍛冶は文化庁長官の認可がないとできない仕事です。5年間修行をし、そのあとに申請をして資格を取得し、はじめて仕事ができるようになるのです。今は修行に加えて実地研修・試験が要件に加えられているので、もっと大変だと思います。また、修行が終わったからといってすぐに刀鍛冶として活躍できるわけではありません。ちょうど私が刀鍛冶になった頃から、それを職業として成り立たせるのが難しい時代になってきました。
どのような点で「難しい時代」と感じられたのでしょうか?
バブルが崩壊し景気が悪くなったんです。社会全体に余裕がなくなったのが影響しているのでしょう。美術品である日本刀(刀剣)も売れなくなって、刀鍛冶で食べていくことが難しくなってしまったんです。それを証明するかのように、刀鍛冶の数も減りました。
全日本刀匠会が設立されたのが昭和50年で、高度経済成長期。当時は500人くらい会員がいましたが、私が刀鍛冶になった昭和58年頃には300人にまで減っていて、今では200人いないくらいです。
自分たちのことは自分たちでなんとかしよう。 刀鍛冶の自立を目指して

全日本刀匠会に入られたきっかけや、
会長に就任されたときのお気持ちをお聞かせ下さい。刀匠会自体は刀鍛冶になった頃から加入していました。当時は下っ端でいろんな雑務をしていましたね。先ほども話した通り、刀匠会の会員は年々減少していって、運営も楽ではありませんでした。設立当初は500人いたから会費収入で運営できていたけど、200人になると厳しい。ただ、いくら運営が厳しくなっても「業界をどうにかしたい」という精神は大切にしながら、いろんな手伝いを続けていました。
そうしているうちに副会長になって、その後会長に就任しました。そのときの挨拶で言った言葉はよく覚えています。「自分の好き嫌いで、人事は決めない」「好き嫌いで、挙げられた意見・事業を選別しない」と。「昔からのルールだから」といった理由だけで続けられるような悪しき慣例や不文律には、絶対に従わない気持ちでいました。
また、昔のようにただ良い日本刀(刀剣)を作れば、誰かが勝手に買ってくれることはない。「待ちの姿勢」でいるのはだめだと分かっていました。「刀鍛冶が自分たちで工夫して、自分たちの業界を盛り上げていきたい」。そんな想いもありましたね。
トップダウンだった組織を、 ボトムアップ型の組織へ改革

全日本刀匠会の会長として
心がけられていることはありますか?やはり「みんなのモチベーションをいかに上げるか」に尽きます。
もともと刀匠会は他の協会の傘下にいました。そのせいもあってか、日本刀(刀剣)の需要が減っていても、誰かがどうにかしてくれるだろうと、他人事に感じていた人も多かったのではと思います。また、トップダウン型の組織だったので、あるとき突然決められたことが上から降ってきて、理不尽に感じたこともありました。そうしたこともあって、10年前に協会から独立したんです。
おかげで大変なこともあったかもしれませんが、刀鍛冶一人ひとりが当事者意識を持ってくれるようになった気がします。特に若手の中で自分たちの技術向上だけではなく、業界全体も考えていこうといった意識が高まりました。そんな彼らのモチベーションを維持、向上させ続けることが大切です。
そのためには、今はいろんな意見を汲み上げて、みんなが気持ちよく動ける環境を作るのが私の役割かなと思っています。若手のアイディアは尊重するし、その他の会員みんなの意思もしっかりと確認する。ボトムアップ型の組織であることを意識しています。
若手や新事業部の活躍によって、 様々な分野との交流や企画が活発化

最近では刀鍛冶とは別の分野と融合したイベントを実施したと聞きました。
それらも、組織が変わった効果でしょうか?そうですね。今では若手がアニメや映画とのコラボレーション企画など、いろんな面白いアイディアを持ち寄ってくれるんです。日本刀(刀剣)ブームも追い風になって、企業から刀匠会に企画を持ち込んで頂くことも増えました。それを受けて、事業展開を分けて「全日本刀匠会事業部」という専用の窓口を開設したことも効果があったようです。おかげで、より多くのお声がけを受けたり、逆に自分たちで企画した物を持ちかけたりして、刀鍛冶とは違う分野の人と繋がりやすい環境ができています。
イベントやコラボ企画の中で、特に印象に残っている物を教えて下さい。
やはり「ヱヴァンゲリヲンと日本刀展」でしょうか。これは大成功だったと思います。刀匠会事業部と企画会社、その権利を持っている方たちが出会い、うまく融合できたんです。
企画によっては、展覧会が盛り上がっても刀鍛冶まで恩恵が届かないことがあるんです。むしろ、えらい目にあってしまうこともありました。しかし、「ヱヴァンゲリヲンと日本刀展」の時は展覧会が盛り上がると同時に、日本刀(刀剣)だけでなく、その裏側にいる制作者(刀鍛冶)にも目を向けてくれる人が大勢いてくれた。そのおかげで力をつけた若い刀鍛冶も何人もいました。
組織だからできる強みを活かして、
刀鍛冶の活動を支援したい

今後全日本刀匠会をどんな組織にしたいと考えられていますか?
みんなの意見を汲み取って、「みんながどうすれば豊かになれるか」「みんながどうすれば安心して刀鍛冶に打ち込めるか」を考えて、実行していく組織にしたいですね。正直言って刀匠会はこれから会員数が爆発的に増える見込みは薄いかもしれません。任意の団体ですし、なにか資格がある物でもないですしね。しかし、組織だからこそできることってあるんです。
例えば炭が不足しているときは、文化庁から支援を受けることができたし、先ほどのコラボ企画や定期的に展覧会を開くなどして、刀鍛冶が世の中にアピールできる場を提供することもできます。こうしたことは、個人では難しいです。
あとは後継者を支援する活動にも力を入れていきたいですね。今は、刀鍛冶を目指す人たちに研修会を開いて、師匠・弟子双方の出会いの場を提供しています。また、弟子を取った師匠は金銭的にも負担がかかるので、刀匠会から炭の支給をするといったフォロー体制を強化して、人材育成の手助けをしていきたいです。
情報を活用し、自らの進路をしっかりと吟味してほしい

最後に、これからの業界を担う若い世代に向けてメッセージをお願いします。
どの業界に進むにしても、自分が希望する進路に関する情報はいち早く・十分に得て、本当に望む進路かを吟味してほしいと思います。今はネットで様々な情報が出ていますしね。
刀鍛冶の業界でもイメージだけで弟子入りを希望したり、修行先の刀鍛冶がどんな人かをあまり確認せずに弟子入りしてしまったりする人がいます。しかし、そういった人は結局途中で辞めていくケースが多いです。弟子入り前に先ほどお伝えした研修会に参加したり、刀匠会にある情報を活用していたりすれば、こうした挫折は防げたかもしれません。
最後に。刀鍛冶は今の時代厳しいとお伝えしましたが、希望がないわけではありません。修行はもしかしたら厳しいかもしれないけれど、修行を終えれば、思う存分好きな刀も作れる。また、展覧会を開けば200人の会員のうち、20~30人が作品を出すことができます。小説家や画家など他の分野の人たちが世の中に作品を出せる機会と比べたら、かなりチャンスに恵まれています。一人でも多くの若者が、日本刀(刀剣)に興味を持ち、そしてさらに深く勉強したい、刀鍛冶文化を支えたいと思ってくれたら嬉しいと思います。