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「困っている人を無くしたい」 父から学んだ、ひとつの信念

医師を目指した理由を教えて下さい。
私の父は、87歳まで医師を続けていました。いつも、夜遅くまで患者様の診療にあたっていたことをはっきりと記憶しています。そんな父の背中を見ながら、山本周五郎原作の『赤ひげ診療譚』に登場する医師と重ね合わせていました。
主人公の「赤ひげ」は、困っている患者がいれば、どこへでも出かけていき、医師の使命として治療を進んで行ないます。父の熱心な診療態度を誇りに思い、私も父のように真摯に患者様と向き合う存在になりたいと思うようになりました。
バイタリティを持って生き、 周囲を明るくする存在になりたかった

学生時代のお話を聞かせて下さい。
遊びも勉強も、何でも好奇心を持って挑戦する青年でした。高校時代は仲間とともに名古屋から奈良までヒッチハイク。医学部入学後は早くから予防医学・公衆衛生の分野に興味を持ち、積極的に講義に参加して文献もたくさん読んでいました。
その一方で、マリンクラブを設立。ヨットやダイビングなどのチームを盛り上げ、仲間と楽しんだことは、とてもいい思い出です。現在、産業医としてあちこち飛び回ることにストレスを感じていないのは、学生時代に培われたバイタリティのおかげかもしれません。
「防げる」病に、人はなぜ侵されるのか 医学部での学びで、 予防医学の必要性を実感した

予防医学を専門にしていきたいと思ったのはなぜですか。
医学部生時代に、喫煙者に多い「バージャー病」を知ったことがきっかけです。とても恐ろしい疾患で、手足の動脈が閉塞し、最終的には切断しなければなりません。「早くから患者さんの性格や生活習慣に合わせて治療できれば、タバコの吸いすぎを防げるのに」と、歯がゆい気持ちになりました。他にも、予防によって疾患を防げるケースはたくさんあります。
交通事故死もそのひとつ。私は救命救急センターにも勤務していたことがあります。シートベルトをしていれば死なずに済んだという人を何人も見てきた中で、予防医学を専門にして、様々な危険因子から人を救いたいと、強く思うようになりました。
実際の仕事現場に出て、 危険因子を確かめる

産業医として、どのような経験をされてきましたか。
30歳の頃、名古屋市役所の産業医になりました。あるとき、ゴミ収集車の作業員たちが腰を痛めるという被害の声が多く寄せられました。私自身も収集車に乗り込み、スタッフと同じ作業をしてみました。すると、ポリ袋の色によって作業員の行動が変わることに気づいたのです。
黒いポリ袋は慎重に持つのに対し、白いポリ袋の場合は重い物が入っていても、軽いと思いこみ、安易に持ち上げて腰を痛めてしまう。色彩の与えるイメージが、作業員の行動に影響していることが分かったのです。その後、どんなゴミを拾うときにも負担がかかりにくい姿勢を心がけることや、ゴミを置く場所を高くするなどして、拾う動作の負担を軽減することを提案し、状況を少しずつ改善していくことができました。
自分のところに来る人は、 みんな幸せになってほしい

治療や指導をする際に心がけていることは何ですか。
現在、内科の診療や企業・自治体の嘱託産業医、大学での講義など、様々な活動をしていますが、私のところに来てくれる人に対して「愛」を持って接することを大切にしています。嘱託産業医で言えば、その企業の製品を実際に使ってみるのはもちろん、働いている人と同じ目線でいることを心がけています。
また、企業は組織で成り立っていることを、よく理解して治療に当たることも大切です。現場を改善しようと、勝手に社長にかけあって話を付けるようなことは一切しません。医師というより、組織の一員として行動します。また、労働衛生に取り組む以上、自分自身の医院の労働環境を良くすることにも努めています。
「長命より、長寿」を合言葉に ストレスのない生き方を

最後に、読者の方へメッセージをお願いします。
人生には、進学や就職、転職、結婚といった様々なイベントがあります。新しい家庭環境や労働環境では、気持ちを新たにして取り組める反面、精神的なストレスを感じることもあります。
楽しく生きていくコツは、全力でことに当たるのではなく、70%くらいの力でゆっくりとなじんでいくこと。そして、その環境のいいところをひとつ見つけておくことです。これらを意識することで、ストレス予防は、誰にでもできます。
「長寿」という言葉が示すように、人生の新しい出会いに楽しさや喜びを感じながら、長く生きることを目指しましょう。
社名・役職などはインタビュー当時のものです。
インタビュー:2014年6月