トップインタビュー
数学や物理はゲーム感覚。 高校・大学時代はバイクに夢中になった

社長は元々技術者だったそうですが、小さい頃から理系方面に興味があったのでしょうか。
私が学生だった頃は、テレビ漫画などで科学技術が格好良く描かれていた時代でした。世の中も高度経済成長期のど真ん中で、日々新しい技術が生まれていく様子に、憧れや美しさを感じていましたね。
学校の数学や物理も論理的に考えて結論を導き出すなど、しっくりと腹落ちするところがあるから好きでした。難しい問題も遊びやゲーム感覚で解いていたように思います。逆に文系科目にはそういった遊び感覚が見いだせず、大学の進路は迷うことなく理系を選びました。
大学時代はバイクに夢中になったとお聞きしました。
実際は高校生のときから夢中でした。バイクの免許も16歳になってすぐ取りましたし、当時は白バイ警察官に憧れていました。バイクに乗ると解放感がありますし、行動範囲が一気に広がります。私にとってバイクは移動手段というよりもスポーツでした。
元々機械が好きだったというのもありますが、自分でバイクをいじることも楽しく、夢中になりました。モトクロスをずっとやっていたのですが、モトクロスは一度コースに出たらブレーキの中までドロドロになってしまいます。ですから、毎回バイクを全部バラバラにして綺麗に磨いて、また組み上げて……そうして調子よく走ったら、気持ちが良いですよね。もしかしたら、一生懸命世話をしている馬に乗るような感覚かもしれません。自ら手をかけることで、愛着も湧くのでしょう。
就職活動は堀場製作所の一社のみで完結

大学を卒業後、堀場製作所へ入社したきっかけを教えて下さい。
大学では、光と物質の相互作用を扱う「光物性」の研究室に入りました。そこで、たまたま「結晶」をテーマに研究を進めることになり、ヨウ化カリウムの単結晶を純化することに取り組みました。原料を精製し、高温真空中で溶かしてゆっくり固めると、パキッと割れるような綺麗な単結晶ができるんですよ。
その頃が丁度就職活動の時期でもあって、「京都に結晶を作る会社がある」と聞き、堀場製作所のことを知りました。一度会社訪問をしてみたいと面接を受けたら、内定を頂けたので、この一社で就職活動は終了しました。
一社のみの就職活動で会社を決めて、迷いはなかったのでしょうか。
ありませんでした。今でこそ売上高2,000億円超えの企業ですが、私の入社時は200億足らずの企業だったんです。どちらにしても、私にとっては会社規模なんて興味はありませんでした。どんな会社であっても、入社後のことは分かり得ない。それならば、そこで何がしたくて何を成すべきかが大事であり、結果的に自分自身次第だろうと思い即決しました。
決断を迫られるときは、5秒で「はい」と答えてきた

就職活動以外でも、即決される場面というのはあったのでしょうか。
今まで仕事をしていく上で決断しなければならない状況は多々ありましたが、ほとんど5秒で「はい」と答えてきました。往々にして、なぜ簡単に返事してしまったのだろうとあとになって振り返るのですが、そのときは単純に「面白そう!」と言う気持ちが勝ってしまうのです。イエスと言ったからこそ、また新しいことにチャレンジできるわけですね。
アメリカ赴任のときもそうです。アメリカ・カリフォルニアには2回赴任しているのですが、カリフォルニア大学アーバイン校で、HORIBAグループとしては初めて在外研究をやらせて頂きました。会社の上役に急に呼ばれ、大学資料を見せながら「こんな大学があるが、行ってみるか」と言われたときも、5秒で「行きます」と言いました。
アメリカでは専門的な研究を行ない結果的に博士号にも繋がりましたが、何より自分の信念・主張をしっかり持つべきだと学びました。議論をする際にも、互いに意志を持ち、主張することで、相手のことをより深く理解して尊重できる大切さを、身をもって知ることができました。
アメリカで社長就任。国籍に関係なく、 ひとつのチームができると実感

2回目のアメリカ赴任は大変だったとお聞きしました。詳しく教えていただけますか。
2回目のアメリカは、ホリバ・インターナショナル社(現 ホリバ・インスツルメンツ社)の社長として赴任しました。赴任期間は2007年から2010年の4年間で、リーマンショックが発生した時期にも重なります。
リーマンショックは2008年に起きましたが、その少し前から半導体業界全体の雲行きが怪しくなってきて、半導体部門の売上がストンと落ちました。アメリカのオフィス全体も急に静かになってしまい不安を感じる中、次はリーマンショックです。その次は米国の大手自動車メーカーも民事再生法を申請し、本当に日々気が気じゃなかった。
そんなある日、堀場厚・現会長が出張でアメリカに来られた際に、私が「この時期に米国で社長をやっているのはとても運が悪い」と言うと、会長は「100年に1回のことらしいぞ。社長としてこの経験ができることはむしろ幸運だ」と仰いました。当時はそんな気持ちになる余裕が有りませんでしたが、確かにあのときの経験が今は人生の財産です。今になってやっと会長の言葉の真意が理解できました。
今は貴重だったと思えるような、印象に残るエピソードがあったのでしょうか。
やはり景気が悪いときに職を失ったら路頭に迷うので、米国のホリバリアン(社員の呼称)たちは全員必死でした。どうやれば会社を元気にできるかを、日本人だけでなくアメリカ人もみんな一緒になって考えるんです。そのときに米国に存在するいくつかのグループ会社をひとつにする再編も行なっていたのですが、こういう環境において、社員のチームワークは良く、協力度合いが素晴らしかったですね。国が違っても、みんなが同じ方向を向いたら、しっかりとしたチームワークができるし、文化の違いは関係ない。社員の頑張りがあったから赤字にもならず、こうやって振り返ると良い経験をしたと思える。そうしたところも、弊社の社是である「おもしろおかしく」なのだと思いました。
堀場製作所の社長に就任。 技術者だからこそできること

社長は元々技術者でしたが、会社を経営していく上でそれが強みになる場面などお聞かせ下さい。
私自身がお客様に対して直接技術の話ができますし、お客様もちゃんと現場を知っている人が判断してくれているのだと、親近感を覚えてくれているのではと思っています。また、私自身も技術面での興味は以前と変わりませんし、常にアンテナを張っています。HORIBAは技術の会社ですから、技術の知識は経営に欠かせません。数字だけでは伝えきれないことを、自分の言葉で説明できるのが、強みでもありますね。
御社が今、力を入れていることをお聞かせ下さい。
エネルギーをどう作り、どう溜めて、どう使うかという全工程で分析・計測ソリューションを提供できる強みをもっとアピールしていきたいと思っています。例えば電池ひとつ見ても、ナノレベルで分析・設計しなければならない。ハイブリッド車もフル電気自動車も電池は不可欠ですし、よりエネルギー効率の良い電池が必要となるでしょう。
HORIBA BIWAKO E-HARBORにある自動車開発用の試験設備「E-LAB」では、エンジンで作るエネルギーと、電池に溜めているエネルギーをどうバランス良くプログラムするかを検討するための試験を行なうこともできます。
さらに、今後はスマートグリッド(次世代送電網)の進展とともに重要度が増してくる「発電、送電、モビリティのコネクティビティ」をトータルにカバーできるような技術展開をしていきたいと思っています。5事業で持つ幅広い分析・計測技術を活用して、総合的なソリューション提供をするHORIBAだからこそできることがたくさんあると考えています。
「はかる」技術でイノベーション創出の加速に貢献し、 人類・社会の発展を支えていきたい

御社が今後目指していくところを教えて下さい。
2019年から5年間の中長期経営計画を2年前倒しして更新しました。弊社ではMid-Long Term Management Plan(MLMAP)と呼んでいますが、そこで掲げているのは、「Energy / Environment、Materials / Semiconductor、Bio / Healthcare」に力を入れていくということです。この3つの分野は、どれだけ世界が変わっても絶対になくなることはないと考えています。
今後は各事業の連携をより強化させることでさらなる相乗効果を高め、HORIBAが持つ「はかる」技術で生み出した高付加価値な製品・サービスの提供を通じてイノベーション創出の加速に貢献する企業への変革を目指していきます。こうした取り組みを通じて人類・社会の発展を支えていきたい――それが私の大きな目標です。
そうした大きな目標を共にしたい人、社長ご自身が一緒に仕事をしたいと思う人はどのような人ですか。
やはり「自分で考えて、自分で行動ができる人」ですね。言われたことならば完璧にこなす100点満点の人、これだけではだめです。周りを見て、いろいろな人とコミュニケーションを取りながら、自分が今何をするのが一番良いのか、何が求められているのか。自分の状況を把握し、最善の判断をし、行動できる人が良いですね。弊社では、仕事の大小関係なく、そうした姿勢を求めています。また若い世代には、先を見つつも、今という瞬間を楽しみ、真剣に取り組んでほしいと思っています。
社名・役職などはインタビュー当時のものです。
インタビュー:2019年12月